生成AI、便利ですよね。
文章も書いてくれるし、画像も作ってくれるし、プログラムまで書いてくれる。
実際、私たちも日常的に使っています。
で、
「生成AIを使っている」というか、
「生成AIに丸投げしている」ことって結構分かるなー、っていう話
レビューをAIに投げると空気で分かる
制作の現場では、出来上がったものに対して意見や修正依頼を出すことがあります。
ところが最近、
「この文章、絶対AIに投げただけやないか💢」
と分かるレビューに遭遇することがあります。
やたら長い。
やたら丁寧。
でもどことなくふわふわしてる。
何が気になったのか。
どこを改善したいのか。
何を優先したいのか。
制作で大事なことが見えてこない。
レビューというのは、正解を出す作業ではありません。
考えた結果を共有する作業です。
だからAIが作った文章そのものが問題なのではなく、
「ねぇ、ほんとにちゃんとチェックした?」
という空気が伝わってしまうことが問題だったりします。
画像も思っている以上に見抜かれている
広告やパンフレット、WebサイトでもAI画像を見る機会が増えました。
もちろん使い方次第です。
イメージ表現やコンセプトビジュアルなら十分成立します。
ただ、実物が存在するものまでAI画像で済ませてしまうと話が変わります。
店舗とか
建物とか
製品とか
モデル撮影とか…
本来撮影できるものなのにAI画像を使うと、
「現場に行ってないのかな」
「本物を見せたくないのかな」
と思われることがあります。
画像の品質の問題ではありません。
姿勢の問題です。
実際、お客さまとの会話の中でも、
「あれAI画像ですよね」
という話は普通に出てきます。
制作側が思っている以上に見られています。
効率化と手抜きは別物
生成AIは優秀な道具です。
下書きを作る。
アイデアを整理する。
文章の叩き台を作る。
こういう使い方は合理的です。
一方で、
考えること。
確認すること。
取材すること。
撮影すること。
こうした工程まで全部省略し始めると、だんだん中身が薄くなります。
表面はきれいです。
でもどこか軽い。
そして不思議なことに、その軽さは見る人に伝わります。
結局、人がやるべき部分は残る
AIが登場して仕事はかなり楽になりました。
これからもっと便利になるでしょう。
ただ、
「何を伝えるのか」
「何を優先するのか」
「本当にこれでいいのか」
という判断は、今のところ人間の仕事です。
だから大事なのはAIを使うかどうかではありません。
どこまで任せて、どこから自分で責任を持つかです。
全部AIに任せることはできます。
でも全部任せた仕事は、だいたいバレます。
良くも悪くも、その痕跡は完成物に残りますよね